息子の誕生日に、自分のルーツを思い出す

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息子が2歳を迎えた。

子供が誕生日を迎え成長し、1年、また1年と大きくなるのはうれしいが、自分も出産してから同等の年月を過ごし、成長して(老いて)いるかと思うと恐ろしい。子供の年齢=ママ歴。長女はもうすぐ4歳なのでママ歴4年、二人育児歴2年。

子供は文字通り、日々できることを増やしている。自力で何もできない新生児が、首が座り、寝返りを覚え、ハイハイし、立ち上がって歩くようになる。少しずつ言葉を習得し、指示を聞けるようになる。自我が芽生え、イヤイヤ期に入り精神的にも成長している。

自分がこの2年で新たに初めて経験したことはあるか。できなかったことができるようになったことはあるか。

二人育児。ワンオペで二人の世話をするスキル。おませさんになる上の子との駆け引き、下とのイヤイヤ期の攻防、アンガーマネジメント(まだまだ未熟)、時短料理テク、不平不満を飲み込み、日々の日常に喜びを見出すこと。

いや、育児、家事系ではなくて…

明星大の教職課程 レポートをすべて提出し単位を取った(あと実習だけ)
テスト会場にてテストに合格した
食の安全性について学んだ
添加物をなるべく避ける工夫を始めた
調味料を全部変えた
運動を習慣化できた
肌質改善にとりくんだ
行きたい講演会に行く段取りをし、会いたい人に会う行動をした
30代半ばで「夢を持つこと」とはどんなことかを思い出した
自分の根っこを再認識した
次なる目標を探し始めた

行動することからしか自分の気持ちは見えてこないと感じた。いくら夜な夜な自己分析しても、価値観マップを作っても、深堀やインプットだけでは現実は変わらない。自分の本当の気持ちにも気づけない。これかな、ってやってみてどう感じるのか。ちょっと違えばまた違うことを試してみる。やっぱりこれが好き!って思うかも。やっぱりこれはいや!って思うかも。試してみて改めて認識できる。ふと脇道に、求めるものにつながるヒントが落ちている。

つい昨日、インスタでVamos AKABAさんという方を見つけた。

彼は、もっと日本人は欲求に正直に、バグって生きようぜ!っていうことを発信している。今の自分にとてつもなく刺さってしまった。

一人、この手の発信者をフォローすると、似た人がどんどんリールに流れてくるの、インスタのアルゴリズムすごいよね。

気づけば大学生から座右の銘はCarpe diem(今を生きる)だった。

そこから社会に出ると、毎日がルーティン化した。あっという間に座右の銘なんて忘れ去られた思考になっていた。

私は就活第一希望の業界には内定がもらえず、第2希望業界であった金融に就職した。正直、金融は苦手意識があった。でもせっかく手に入れた新卒での大手就職、レールに乗っかって、苦痛に感じる仕事も3年は耐えて早く社会人として一人前になることが成功だと思った。次の異動では自分の希望の部署に少し近づけるかな。まさに足を使った営業で知識と経験を積んで、業界のプロとして恥ずかしくない人材になることが美だと思っていた。それと同時に、入社式からずっと、ここでは3年の修行だと思っていた。5年、10年とキャリアを積む絵は描けておらず、腰掛というか、踏み台にして転職する前提だった。

そんな甘い気持ちだったからか、会社では苦戦した。自分のエネルギーと時間と、持てるすべての資産を注ぎ込んで成長することに集中できなかった。当時はそれなりに自分ができる精いっぱいで走っていたと思う。苦しいことの中にも達成感や喜びを味わえる瞬間もあった。でも、必死さというか、当事者意識というか、3年以内に結果を出す意識はしておらず、成績もいまいち。なら完全にquiet quitterとして割り切って仕事するかというと、変な完璧主義というか律義さというかまじめさも併せ持ってしまっているため、自分のふがいなさを責め、思うように仕事ができない未熟な自分を許せず、少しずつそのストレスが体調に現れるようになっていた。完全に壊れる前に転職を決意し、様々なことがトントン拍子に決まって会社を辞めることになった。

次の舞台は塾講師だった。夢のようなキラキラした年月が過ぎていった。天職だと思った。やりがいを感じ、この仕事に夢中になることでお給料までもらえるのはありがたすぎるとさえ思えた。ただこれも年月を重ねるごとにルーティン化し、会社の方針が変わるたびに従わざるを得なく、クリエイティブに創ることから、だんだん仕事を「こなす」ようになっていった。気づけば会社、上司に対する不満を口にするようになり、その不満を自ら変えていこうという努力はしないまま、プライベートを優先し、自分の権利をいかに守るかを考えていた。

やはりここでも問題だったのは、自分のやりがい、仕事の取り組み方を他人にゆだねていたことである。上司、会社にゆだね、自分としての目標や夢が具体的に描けていなかった。

当時からつい昨年くらいまで、会社に勤めれば、会社の目標が自分の目標だと思っていた。今は違う。自分の人生においての目標は常に自分の中に持つべきだ。それと、会社など、属す組織の目標が一部でも重なればいいと思う。完全に一致するなんて難しいし、目標は会社任せにするのはよろしくない。だって仕事をするためだけの人生ではないのだから。会社の方針が変わるたびに、自分の人生まで方向転換するような感覚になってしまう。目標とは誰かに決めてもらうものではない。

書いてみると至極当然、当たり前なこと。でも産休、育休で立ち止まらなかったら気づけていなかったかもしれない。

そう思うと、この2年で一番の収穫は、自分の目標を改めて意識できるようになったこと、そのために日々一歩ずつ歩むことを意識できたことかもしれない。

自分の今の目標は、来年教育実習に行って教職課程を修了すること。学校現場をのぞくことで、公教育に携わるイメージを持ちたい。自分がそれの中でどのように感じるのか。自分の強み弱みも再認識できるだろう。すると、より具体的に進みたい方向性が見えてくることを期待している。

急がば回れ。


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